2015/11/03

なんとなCooking 東アジアの平和を込めた水餃子篇


中洲祭りの翌日(もしくは翌々日)、私はとある中華料理屋に舌鼓を打ってきました。



分かります。皆さんが心の中から放ってる同情の眼差し。「なんだ、このボロっちい建物は??」と感じた方も少なくないはず。

しかし、こういう油ギトギト汚さそうでジャッキー・チ◯ンが乱闘してそう、なおかつタンメンを提供してくれなさそうな雰囲気のお店に趣を感じるのは私だけでしょうか?いや、そんなはずはないです。

味の感想としては、値段の割には(もしくはそれ相応)に美味。もっと良く言えば、(仮に)4万円の美味しいフランス料理を食べた時とインパクトは似てるかもしれません。



っていう話は重要性に乏しいのでさておき、本題へ。

そこの水餃子を食べてみて、これなら私でも作れるのではないか、と浅はかで上から目線な判断での末 挑戦してみることにしました。

そこで ご理解頂きたい。結論から言うと、皮の作り方をネットでチラッとカンニング参考にしました。

どの材料をどれだけ使い、どれぐらいのクオリティになり、結果いくら必要なのか
いわばこれは投資なのです。餃子の礎とも言える皮について、予備知識皆無の状態で水餃子に挑むという事は、ドンキのレジで端数が出たにもかかわらず隣にある大量の1円玉を使わないのと同じぐらい大規模な損失を被りかねないのです。


ネット情報を吟味した結果、強力粉と薄力粉を2:1やら3:1、1:1などバラバラな配分が多く、要は 強力粉≧薄力粉 の配分で水と混ぜれば大概 許されてしまうということです。




ある程度綺麗にこねられてとお思いでしょう。この状態に至るまでに私の手には、水と混ざりきっていないベトベトな小麦粉が大量に付着。ハロウィンの仮装大会で手の平部門というのが存在するならば、部門賞を取ることが有力視されてもおかしくないぐらいグロテスクな状況下に陥っていました。


次に餡です。こういうの入っていたであろう感覚で、白菜、挽き肉、ニンニク、その他調味料を投入。さすがに私も馬鹿ではないので、次からは素手ではなく しゃもじを使って混ぜることに。


やや白菜が多い気もしますが、まあまあまあ健康指向(志向)が上昇してる私からしてみれば、許容範囲内。


さて、ここからが大事な所。

前回も同様
願掛けも兼ねて、大量の韓国海苔を投下。



韓国との首脳会談が実現するとかしないとかで、色んな意味でホットな話が。
韓国海苔が潮風を浴びていたのと同様、島国日本も四方八方の海からの向かい風を追い風に変え、日韓の関係改善にノリノリで向き合って頂きたい。


続いて日本側。
瓶詰めのなめたけを投入。




この瓶詰めのなめ茸のようなネットリ感で、良好な関係をネットーーーリと日持ちならぬ年持ちするような状況が続くことを祈願。


そして、この餡を先程の皮で包む工程へ。
しかし、バチのような丸い木の棒が手元にないので、その時だけイタリアのピザ..ピッツァ職人を意識して生地を素手で平たくすることに。一つ一つ手で皮を作るなんて、手間手間手間手間手間手間...。皮の大きさも中の餡の量もバラバラで、なかなか思ってた出来にならない。

でもまぁ、別に水餃子なんて餡はオカズで主食は皮の方だから、とりあえず包めれば餡の量なんてどうでもいいのではないでしょうか。
どうせ皆さん、焼き餃子でさえそのまま食べませんよね。結局タレの味しかせず、餃子本来の味を楽しもうとはしませんよね。焼肉屋行っても、通ぶる人以外何も付けずに食べる人なんてほとんどいないのではないでしょうか。結局、味が第一であり食感はそれ以下ということでしょう?



それらも踏まえて、包むのを辞めました。

念のため通達しておきます。決して、生地を伸ばす作業が面倒くさくなったからではなく、はたまた餡を包んだ皮が破けることにウンザリしたからでもない、さらに言うなら包む時の体勢で足腰が疲れてきたからではありません。

純粋に"このまま水餃子を作り続けてて私の未来は明るいのか、時間という名のお金を無駄にしてないか"ということについて疑問を呈するようになったからであり、身勝手な堕落が原因ではありません。

とりあえず、作り終えた餃子は直ちに冷凍庫へ保管。ゆえに完成品を撮るタイミングを失いました。しかし、完成品のクオリティとは皆さんのピュアな心に比例、すなわちピュアな人ほど美味しそうな餃子をイメージ出来てるはずです。



包むのが面倒くさくなって放棄してしまい残った生地と餡は翌日ほうとう鍋に変わりましたとさ。




















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